FUMIE HIRATAI 


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<過去のテキストより>


ー『平体文枝個展 』2021(ギャラリーカメリア)テキスト


クルクルクルクル 自転する地球にへばりつくわたし

卓球しながらクルクルクルクル ボールにトップスピンかける

さあそろそろ絵を描く時間

ピンポンのベルが鳴って宅急便

もう一回深くマントルまで潜り込んで集中


ブルブルブルブル ケータイが鳴る

「そろそろスマホに切り替えませんか」セールスの声 

揺さぶられるけど 馴染んだ道具は可愛いおもちゃ

昔かたぎは崖っぷち

相手も必死のスマッシュ攻撃

追い込まれて最後の手段

「今ちょっと、ごめんなさい」

こちらが謝ってひとまず試合終了


夜も更けて この星にひとりだけ取り残されたかのような静寂

無重力のアトリエ 浮かぶ構想

グルグルグルグル 油絵具

あんなことこんなこと 悲喜こもごも

すべて練り込んで 筆にのせる

時間無制限の果てしないラリー


ニャーニャーニャー猫の声

背中に爪が突き刺さる

もうご主人寝ましょうよ


朝日が昇り わたしは沈む    


     



ー『平体文枝カレンダー2020 』ご挨拶に代えて


子供の頃より物を作るエネルギーに満ち満ちて、夕飯の終わる頃には超手持ち無沙汰な気持ちになり、テレビの前をウロウロとまるで動物園で見る熊の如く右に左に行ったり来たりしていた。何かを作り上げたいというエネルギーはその後洋裁、陶芸、パン作りとあちらこちらに向かったが、思うようにいかない故に離れられなくなったのが油絵で、気がつけば三十年も描き続けている。不思議なことに、これはいい作品が出来たと思える時ほど自分が描いたという実感がない。何かに操られているように筆が動いて、魔法のように目の前に突然それは現れる。そんな瞬間がまた来ないかなと淡い期待を抱きつつ今日も筆を持つ。    

                              

        


ー『平体文枝個展 』2019 (ガレリアポンテ)テキスト


1985年の春、生まれ育った能登を出て進学のため東京に向かうその朝、

見送りに来た母は駅のホームで目に涙を溜めていた。それまで田舎で暮らしていた人間が都会に暮らし始めるということは、都会の人間が海外留学をするくらいの冒険の度合いがある。まさに人生の船出だった。その後2002年にベルギーに留学することが決まった時にはうれしい反面、不安もあってわたしが涙目になった。田舎で生まれ育った人間が海外に暮らし始めるということは、月にも行くような冒険に感じられた。実際、訪れてみればベルギーの地は能登と似ていて、月面着陸とは違った。一年後、帰国するときは友と別れるのが辛くてまた泣いた。


ずいぶん色んなことを経験してきてたくましくなったつもりが、都会で暮らしていると知らず知らずのうちに弱体化していくのに気づく。人間本来の野性味を徐々に失って自分が当たり障りのない仕上がりになっていくのが分かる。わたしは絵を描きながら画面の中で思い切り暴れてみたり静かに心を落ち着かせたりして、あの時駅のホームにいた自分を取り戻そうとしている。


            


ー『循環 ― 風と水と大地』 (Gallery惺SATORU)テキスト


ベルギー人のお年寄りから「日本では地震が起きるんでしょ?どんな感じなの?」と質問されたことがある。「大きい揺れが来るたびにもう終わりかなって思います。」と答えたら、「ねぇ、どうしてそんなところに住んでいるの?」と聞かれた。たしかに。


でも安住の地なんて果たしてあるのかしら?苦労無くして木に果実の生るあたたかい大地に住んでいたら、そのうち何もしなくなりそうだ。サンクチュアリはあっという間に人でいっぱいになるだろう。そしたら、そんなところには居たくないな。

 

日々刻々と状況は変化する。どんなに優しい人だって時に怒りだすし。風に飛ばされそうになっても、足下が揺らいでも何とかそこに立ち続けなくては。


仕方がない。そんなフラットな覚悟が新たな果実を生みだすのかもしれない。

  

    


ー『クインテットII − 五つ星の作家たち』カタログ


わたしの記憶は寒々しい。雪の多い小さな港町で育った。毛糸の手袋もいつの間にか濡れて、指が冷たくなった。街の交差点で吹雪がぶつかり合い、暗闇のなか上方に向かって渦を巻いていたのをおぼえている。


雪がやんだ夜は一転、急に優しくされたように街は静まりかえる。大通りにはわたししかいない。闇は深い。足もとに柔らかな新雪。小路からのぞいた寺の境内が、能の舞台のようにも見えた。何もないところで育ったが、心に残るものはあった。


わたしが生まれるずっと前に亡くなった祖父は、時々人に頼まれると漁船の側面に何々丸という船の名前を書き入れていたという。大きなキャンバスに向かい筆を持って構えるとき、船を前にした祖父のことを想う。ひとつの線、点であっても描いたその人の在り方が見える。気が抜けない。そこが面白い。



My memories are chilly and bleak. I grew up in a small harbor town where it often snowed. My woolen glovers would soon be wet and my fingers cold. I remember the way the flurries of snow blowing down the streets would meet at the intersection in town with a force that made them swirl upward.


At night when the snow stopped, the town would grow calm, as if suddenly quieted by gentleness. Then I would be the only one on the main street. The darkness was deep. Under foot was the soft new snow. Seen from a side alley, the temple grounds looked like a Noh stage. There was not much in the town where I grew up, but there are things that it left in my heart.


I’m told that my grandfather who died long before I was the one people went to when they wanted someone to paint the name on their new fishing boat. When I stand in front of a large canvas with brush in hand, I think of my grandfather standing in front of a boat. Even in one line or one dot, you can see something of the person who painted it. Each stroke demands full concentration. That is what fascinates me.


       




「胡蝶の夢」という話があります。荘子が蝶になった夢をみて、どちらが本当の自分だったのか区別がつかなくなったという話です。この話のように、もしかして現実と非現実とは紙一重なのではないかという思いがいつも心の底にあります。目の前のものを追いかけるストイックさよりは、現実と非現実の揺らぎを表現したい。それがわたしの制作の根となっています。またベルギーでの滞在でこうした考え方がとても東洋的であるということを知りました。



There is a story called "The Butterfly's Dream".  Soushi (a Chinese Philosopher) had a dream where he turned into a butterfly, and he wasn't able to tell which was his true self: the butterfly or the person.  Just like in this story, I also feel from the bottom of my heart that the difference between reality and unreality is paper- thin.  More than describing the stoicism of the things that we pursue that are directly in front of us; I would like to express flow between reality and unreality.  That is the root of my art.  When I stayed in Belgium for a one year, I realized that this way of thinking is very Eastern.





制作では意識的ではない力がふと作用し、描き進むうちにある色や形が必然的とでもいうように現れることがあります。それは結果として作る側と見る側との「共通の言語」となって、何かを語りはじめるようです。そうした意識することと無意識的な作用のバランスで私の作品は作られていると感じます。わたしは「人」の姿、形こそ描きませんが、わたしという人間そのもののあり様が常に感じられる作品を作りたいと考えています。




Of course, there appear colors and forms that came out from unconscious effects, and that becomes a “common language” between the others and myself. This balance effect of consciousness and unconsciousness is the key to produce my works.  I want to create works that sense my mentality, works that I, myself always exist.






    


© Fumie Hiratai